Paris, France 27th.Oct.-4 th. NOv, 1995
平成7年10月27日午前6時起床,自家用車にて7時に岐阜羽島駅へ.今回は会議旅行の一人旅で期間も8日間と短いため,スーツケースはハーフケースにしたため移動はかなり楽である.片手で持てるので,いかにもビジネスマン風である. 7時28分発こだまにて新大阪駅へ,約15分の待合せ後“はるか”に乗り換え,9時30分関西国際空港に到着.チケットはエールフランスであったが搭乗機はJALであった(いわゆる共同運行便).

機上からみたアルプス連峰
はじめての関空でうろうろしながら待機した後,11時40分離陸.大阪市大の工藤Drは出発ぎりぎりに搭乗した様子である.機内食はすべて和食を依頼した.12時間30分の飛行ののち,フランス時間16時にシャルル・ド・ゴール空港に到着.シートは快適であったが殆ど眠れておらず,疲れた.ハイヤーの運転手が空港到着口でSAWAと書いた大きなカードをもって待っていた."Can you speak french?"と聞かれたので,ボンジュール,ボンソワール,アン,ドウウ,トワ,ジュテームとだけ答えた.運転手も少し遅れたため,先程空港に到着したらしい.
エッフェル塔
ハイヤー(当然ルノー)にてホテル(ル・グラン・オテル)へ.空港からは約40分の距離である.ハイウエーはパリ方面は比較的すいていたが,パリから地方方面は日本並の渋滞である.ル・グラン・オテルはパリ・オペラ座のすぐ隣りで,ホテルにはカフェ・ド・ラペという洒落たカフェがあった.smokerだと言ったらroom No5501になり,他のDrとフロアが違う.最上階で殆ど屋根裏部屋という感であるが,さすがにバスルームは広い.疲れていたためかいつのまにか眠ってしまった.眼が覚めたのは午前3時,空腹を感じ,部屋のポテトチップスとジュースでごまかす.

オペラ座とホテル ル・グラン
10月28日午前7時に工藤Drから電話があり工藤Drと朝食,島谷氏,宇田氏と午後からのrounnd tableについて打ち合せ.有吉Drも早朝にホテルに到着したらしい.午前中時間があるため,徒歩でダンヒル,カルチエ,アルマーニ,シャネル,ホテル・リッツ,ゴデイバが堂々と店を構えるバンドーム広場,冬枯れのチュイルリー公園を経てルーブル美術館へでかける.
ルーブル美術館
初めてなので独特のピラミッドを成す中央入口から入ったが入場の警備は極めて厳重でポーチまでX線検査を受けた.140Fなりのカルト・ミュゼ3日券を購入し,新たにopenしたリシュリュー翼から見学.あまりにも大きく,あまりにも多い陳列品,説明書きはすべてスランス語のため,なにをみていいのかよくわからない.入場してまず気がついたのは,大勢の人だかりができたハンムラビ法典である.なんと直接手を触れることができる.古代美術,ナポレオン3世の間,古典宗教画をみたあと,シュリー翼に入り,アングル,コローなどの絵画,ミロのウ”イーナス,ルイ15世の王冠をみた.この頃には足が疲れてきて,有名な美術品の前ではゆっくり座って鑑賞するようになり,ペースダウン.最後にドノン翼にまわり,超有名な,モナリザ,ナポレオン1世の戴冠式,メデユーズ号の筏などを見学,この時点で12時を過ぎ,昼食をルーブル地下街のカフェテリアで中華料理を食べていたら雨になり急いでホテルに帰った.
モナリザ
ミロのヴィーナス
13時30分よりILー3に関する会議,burke氏よりILー3の今後について色々指摘あり.有吉Drより発言を求められたため,英語で説明したがどうも通じていない.有吉Drが再度通訳してくれて何とかセーフ.
19時より,会議参加者でエッフェル塔2階のレストラン,シュール・ベルヌでフランス料理のデイナー.折角の展望レストランではあるが,霧のためあまり遠くまで景色はみえない.デイナーは初めから終わりまで3時間を要し,眠いやら満腹やらで参りました.

オルセー美術館の内部(95.10.29)
10月29日午前9時30分より,有吉Drらとオルセー美術館へ.他のDrはECCOの登録,open ceremonyにでかける.オルセー美術館は鉄道駅を改装しているため,ルーブル宮ほど大きくはないが,印象派の絵画が中心のため,幼い頃百科辞典でみた覚えのある絵画ばかりである.ミレーの晩鐘,カバネルのウ”イーナス誕生,マネのバルコニー,ゴッホの芸術家の肖像,オーベール・シュル・オワーズの教会,ドガの踊り子のレッスン,ルノワール,セザンヌ,ゴーギャンと目移りしてしまった.その後,有吉Drにつきあってantiqueの店へ.途中ジプシーのスリに遭遇するもこちらが先に気付いたためセーフ.オペラ座通りを経て昼食は”ひぐま”でラーメンをみんなで食べた.有吉Drはどうやらラーメンが好きらしい.午後よりシンポジウムの予定であったが,時差ボケか体調不良,仮眠の後15時よりオランジェリー美術館を見学.日曜日のためか,見学者が異様に多い.モネの睡蓮の間でしばらく佇んでから,ルーブル宮殿前の”大阪”なる日本食店でチャーハンをたべる.まずい.
モネの睡蓮
帰りにJTBのバスセンターに立ち寄り,10月31日のモンサンミシェルバスツアーを申し込む.20時より,有吉Drの提案でクレージーホースに出かける.前日のフランス料理のデイナーより有意義であったような気がする.
10月30日,RER,地下鉄を乗り継ぎパレ・ド・コングレへ.登録を済ませてポスター会場見学.午後よりsmall cell lung cancerのセッションに参加.この日は天気もよく,工藤Drと歩いて凱旋門迄行き,凱旋門まで登った後,RERでホテルへ.夕食は皆日本料理が恋しくなったため,サントリーで会席料理をいただく.おいしい.
国際会議場方面
10月31日.モンサンミシェルまでバス旅行.バス旅行とはいっても集合場所に行ってみると,乗客は日本人の個人旅行者ばかり5人で,用意されたバスは7人乗りのクライスラー製ワゴンであった.片道5時間,現地2時間の何とも疲れる旅行である.昼食はオムレツとシードルという軽い酒.その後ガイドの案内でモンサンミシェルの修道院の中を見学したが,モンサンミシェルはやはり,中をみるより,海に囲まれてそびえる修道院を遠くから眺める方が感動的である.

モンサンミシェル
11月1日.朝から霧と小雨で景色は何もみえない.気温は6度と殆ど冬である.何しろ寒い.午前中はパリからバスで約1時間のシャンテイーイ城見学,ここはコンデ候の城で美術品がすばらしい.昼食はサンリスの町でフランス料理,料理は美味ではあるが,これがまた2時間もかかった.その後,パリにもどりシテ島の市立病院,ノートル・ダム寺院を見学した.一日中天候が悪く,日が差すことはなかった.夕食は”金太郎”でラーメンギョウザを食べた.
↓シャテイーイ城

オテル・デイユー
11月2日.パリ滞在もあと僅か.寒いものの比較的天候はよくRERに乗り,ベルサイユへ.RERの駅がなかなか見つからず,市内警備の警察官に尋ねてみるのだが,どうも地下鉄爆弾事件以来,地方から駆り出されてきた警官らしく,パリの地理が我々よりわかっていない.親切に教えてくれたのだが,おしえてくれた駅はRERの駅ではなくメトロの駅であった.何とか地図を見ながらRERの駅に到達できたが,今度は切符の自動券売機がフランス語でしか表示されないため,まったくわからない.結局,英語の理解できる通りがかりの黒人女性に切符を購入してもらったが,この切符がまた違っていて,ベルサイユの駅で再び清算するはめに.宮殿と広大な庭園を見学し,駅前で中華料理の飲茶.夕刻パリに戻り,土産を購入.ボン・ポアンで子供服の品定め.子供達にワンピースを1着づつ購入,しめて1500F也.その後,オペラ座通りのコート・ド・フランスでチョコレートを購入.
女王の田舎家
11月3日10時30分ホテルチェックアウト.工藤Drとタクシーにてシャルル・ド・ゴール空港へ.13時エールフランスのエアバスにて帰路に.フランスの核実験のためか,はたまた地下鉄爆弾事件のためか異様に空いている.乗客が少なく,ゆったりとできた.白ワインを何度もおかわりしていたら,黒人のスチュワードがワインをボトルごと1本プレゼントしてくれた.
11月4日午前9時関西国際空港に無事帰国.